2021年04月07日

第1回 銀座でなければ、できなかった、“銀ぱち”プロジェクト

東京・銀座で、年間およそ2トンものハチミツが採蜜されていることを、ご存知でしょうか?

緑深い山の頂でも、草花が生い茂る野原でもない、商業施設がひしめき合う大都会、銀座の空をミツバチが飛び交っているのです。

もしかしたら、以前テレビなどで耳にしたことがある方も、いらっしゃるかもしれませんね。初めまして。私どもの団体は「銀座ミツバチプロジェクト(通称:銀ぱち)」。今、始動から15年が経ち、私たちの活動は銀座を越え、全国、そして世界へと羽を広げているんです。

このnoteでは、「銀座ミツバチプロジェクト」のことを、もっと知っていただきたい!そんな想いから始まりました。プロジェクト発起人である田中淳夫氏に、銀ぱち新人 広報スタッフである私 小川が、リアルなエピソードをあれこれ聞き出していきます!どうぞ最後まで、お付き合いください。

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はじまりは、銀座三丁目の貸し会議室から

ーー 今回は、田中さんが銀座で養蜂をはじめた当時のお話を中心にお聞きしたいと思います。今までもいろいろなメディアでお話されてきたかもしれませんが、新米の私にはわからない部分も多いので、一つずつ教えてください。まず、銀座でハチミツを作ろうとした理由からお聞きしたいです。もともと養蜂に興味があったのですか?

「銀座みつばちプロジェクト」を立ち上げる前の僕は、ミツバチとアブのちがいもわからない素人でした(笑)。

いろいろなタイミングが重なり、縁がつながり、私のほうが連れてこられた、という表現の方が近いかもしれません。

ひとつのきっかけになったのは、バブルの崩壊です。私の勤め先である紙パルプ会館(ビル運営会社)は、ちょうどバブルの真っ最中に、様々な業界が集いカルチャーの中心となるビルを建てようと、自社ビルの建て替えを始めました。

当時私は30代。バリバリ働くぞ!と意気込んでいたのに、自社ビル竣工と同時にバブルが崩壊。大不況の始まりです……。完成と同時に、大きな借金を背負うことになり、仕事で重視されたのは「これ以上、何もしてくれるな」でした。

ーー 出鼻をくじかれてしまったんですね。なんだか暗雲が立ち込めていますが、そこからどうやってハチミツに出会ったのでしょうか。

当時、私の主な仕事は、貸し会議室の管理・運営。毎日いろいろな方が出入りしていていました。若手官僚が政策に関する勉強会をやっている一方で、別の部屋ではスイーツを食べる会が開かれていたり。フロア一帯に、あらゆる専門家が、目的をもって集まってくる。

私は何の専門知識もない貸し会議室の管理者でしたが、盛り上がりを肌で感じていました。ちょうどインターネットが台頭しはじめ、思いを共有した仲間同士が集まる、そんな風潮が高まり初めていた頃で、「この会議室も、ここから情報を発信するための“場”として、盛り上げていけるのではないか」と考えるようになりました。

転機となったのは、『銀座・食楽塾』という食の勉強会です。その会のメンバーに、屋上をさがしている養蜂家さんがいたんです。藤原誠太さんです。

ーー ミツバチとの出会いですね。ビルの屋上に巣箱を置いたことが、始まりですか?

スタートまでは、そんなに簡単にはいきませんでした。何しろ、銀座ですからね。街中をハチが飛んだら、危ないと思われるのが普通です。

でもプロの養蜂家の意見は「ミツバチは花まで行って帰ってくるだけだから、危険はありません」と言う。でも「ほんとかよ!?」って思いますよね(笑)。

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万が一、誰かが刺されたら、責任問題になってしまいます。それに、銀座というと都会的な雰囲気に、緑だ、自然だという要素が入ってくることに抵抗感を持つ方もいらっしゃいました。

ーー 銀座のイメージにそぐわないという声は、正直分かる気もします。なかなか一筋縄ではいかないような……。

銀座が銀座でなくなってしまう。という反対の声がありました。でも正直私は、ピンときていませんでした。それは銀座という場所を深く知らなかったから。

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それならば「銀座を学ぶ会を開催したらどうか?」ということで、貸し会議室に銀座人を集めて、近世から現代に至るまでの銀座の歴史を学ぶ『銀座のまち研究会』を開講しました。そこではじめて私自身も勉強して、「銀座ってすごい!この街でやるべきだ!」と直感したわけです。

ーー 養蜂をはじめるために、街を学ぶ……。遠回りのアプローチに思えますが、それが逆に良かったということですか?

昔から銀座は、新しいものが最初に入ってくる街でした。西洋文化や最新のファッション、食文化も、まずは銀座に入ってきます。そしてそれをこの街から発信してきた。長い歴史のなかで、ずっと銀座はその役割を担ってきたんです。つまり、新しいことを始めるのに、これ以上ない条件が揃っていたんですよ。

ーー いわれてみれば、最先端が集まるのは、今でも銀座ですね。それで、銀座人の方の納得は得られたのですか?

一転して、期待値が上がっていきました。いよいよミツバチを飼うことになり、プロジェクトが動き始めたわけです。最初は養蜂家の藤原さんが主導していくのかと思っていたのに、いつの間にか藤原さんに、「田中さん、弱音を吐かずにしっかり勉強してね!」と言われるまでに(笑)。みなさんの不安を払拭できるように、きちんと説明できるようにと、必死で養蜂について勉強しましたよ。

ーー 学ぶ過程で、どんどん主体的に取り組むようになっていったのですね。

養蜂家の藤原さんに場所を貸すだけで、私は関係ないぞ、と思っていたのに、いつの間にか(笑)。でも、当時を振り返ると私自身少しワクワクしたような気がします。

銀座には多様な価値が集まっていますよね。東側には近世から近代までを支えてきた歌舞伎や着物を代表とする和の文化があり、西側には海外ブランドやイタリアンレストランなど西洋の文化が息づいている。街のなかにいろいろな価値観が点在しているんですよ。

僕は貸し会議室の管理者として多様な文化が集まる様子を眺めているうちに、ミツバチが銀座を飛び回り、点をつないでいく風景が、なんとなく見えたんですよ。

 

銀座という街に認められるために、すべきこと

ーー すごい!運命的な出会いのようにも感じます。でも実際、ハチミツってそんなに簡単に集まりますか?この辺りに花なんて咲いていましたっけ?

私も最初は疑心暗鬼でした。でもミツバチって、3km四方を飛ぶんです。銀座の半径2km以内には、「浜離宮」そして「皇居」があります。これは、いわゆる巨大な蜜源ですよ。

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それに、街路樹も充実しています。霞が関にはトチノキが、日比谷公園から皇居の内堀には、ユリノキがあります。どれも花を咲かせる。

ーー そう言われてみると。ふだん意識することはないけど、東京には緑が多いんですね。でも、街路樹から蜜が採れるなんて発想がありませんでした。

街路樹は、ちゃんと毎年花を咲かせています。木々は命をつなげるために、花を咲かせてハチを呼び寄せ、受粉を促すわけですが、ハチがいなかったら、咲いて終わりですよね。ハチが銀座から飛ぶだけで、木々の命のつながりも保管されるんですよ。

ーー 銀座の人々をつなぐだけじゃなく、命もつないでいくなんて。プロジェクトの完成度が高いですね。

実際に巣箱を設置した翌週は、さらに大きな「ほんとに!?」が待っていました。香りの高いハチミツが、狭い屋上にどんどん集まってくる。最初の一週間で採れたハチミツの量は、およそ100kgにもなりました。

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ーー 100kg!?本格的な収穫量ですね。その大量のハチミツは、一体どうしたんですか?

この驚きを伝えたくて、『銀座のまち研究会』のメンバーに「採蜜を一緒にしませんか?!」と声をかけたんです。そこからが早かった。百貨店や飲食店がすぐに動き、採れたハチミツを使った商品があっという間に店頭に並びました。

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レストランでは、シェフがキッチンで、「環境に負荷をかけずに、自然の営みの中で採れる食材があるのか。しかも、それが銀座で出来るのか」という会話をする。それを聞いたホールスタッフがお客様に話す。バーやクラブでは、ハニーハイボールをふるまいながら、「このハチミツは銀座で採れたんですよ」と話す。

街づくりなんて大それたことは考えていませんでしたが、世代や職業を越えて、一気につながり広がっていきました。これ、スタートからたった2ヶ月の出来事ですよ。

ーー 目まぐるしいスピードですね。メディアで頻繁に取り上げられていたのも、この頃でしょうか?ここまで注目を集めたのは、銀座という立地だったからなのでしょうか。

コラボレーションや商品化がこのスピードで実現したのは、銀座ならではだと思います。この街を訪れる方も、新しいものに対して積極的ですから、商品は売れ、利益も生まれます。当然、話題にもなる。

でも、プロジェクトだけではなく、養蜂自体が東京だから成功したのです。養蜂と聞くと、多くの方が牧歌的な風景のなかにある巣箱を想像するのではないでしょうか。でも、現実はそんなに簡単ではありません。

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なぜなら、地方自治体では、農家を営んでいる事業者が多い。安心・安全な野菜を育てるために、農薬は必須です。でも、ハチミツは農薬の影響をダイレクトに受けるのです。それに、野山に生えている木々は、杉やヒノキばかりで、蜜源にはなりません。ところが東京のど真ん中には、農薬を必要とする植物はない。街路樹は杉やヒノキではなく、花をつける木々ばかり。ここまで養蜂に適した環境は、そうありませんよ。

ーー 誰も目を向けなかっただけで、養蜂をはじめるための条件を満たしていたのですね。出だしから順風満帆じゃありませんか!課題とは無縁だったのではありませんか?

そんなことはありませんよ。一番の課題は、どう残していくか。養蜂と、養蜂を銀座に定着させるためにどうすればいいか、今でも悩み続けています。

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いま日本全国に、何人の養蜂家がいると思います?たった3,000人です。戦後には15,000人近くいたのに、70年でここまで激減しました。ミツバチの絶滅は広く危惧されていますが、このままでは養蜂家も絶滅してしまいます。

また銀座という街は、新しいものを受け入れる代わりに、街にそぐわないものは、淘汰されていくんです。目に見えないフィルターがあって、静かに消えていく。

だから、「あのころミツバチがさ…」という昔話にならないために、どうすればいいだろう?それを問い続けてきた15年でしたね。

 

 

【広報 後記】

初回では、銀座ミツバチプロジェクトが始動するまでの経緯をお聞きしました。貸し会議室で交わされる会話を眺めていただけの田中さんが、巻き込まれ、いつの間にか銀座での養蜂の中心人物になっていく過程が、なんだかとっても不思議に感じたのと同時に、プロジェクトが進むスピード感と多様な人々の出逢いは、きっと銀座ならではのものなのでしょうね。

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次回は、プロジェクト始動から怒涛の2ヶ月を過ごしたその後のアクションについて詳しくお伝えしていきます。ミツバチは、東京を飛び出してどんどん広がっていきますよ!それではまた来月、お会いましょう。ぶ〜〜〜ん♪

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