理事長 白坂亜紀
1966年大分県竹田市出身。1987年より日本橋の老舗クラブにて勤務し、女子大生ママとなる。その後、銀座五丁目と七丁目にクラブ「稲葉」を開店させ、写真誌「フォーカス」「ダカーポ」フジテレビ「銀座女絵巻」等々で紹介される。他にも「Bar 66」や「日本料理 穂の花」を経営する傍ら、GSK(銀座料飲協会)などの理事を務める。NHK『プロフェッショナル仕事の流儀』「銀座、夜の女たちスペシャル」 をはじめとして、数々のメディアにも出演。『銀座の流儀―「クラブ稲葉」ママの心得帖』(時事通信社出版局/2017年)など、書籍も多数出版している。
田中淳夫
「銀座ではちみつが採れたらおもしろいよね」との想いから、2006年銀座ミツバチプロジェクトを立ち上げ、銀座の街の活性化とミツバチが住める街づくりを提唱し、屋上緑化を推進する。また地方との交流で、顔の見える関係の構築に尽力。都市養蜂のパイオニアとして各地のミツバチプロジェクトの発足に協力し、全国各地にミツバチ仲間を広げている。
山本なお子
はちみつが好きで色々なはちみつを食べて楽しんでいたところ、「自分でミツバチを飼ったら自分のはちみつが採れんるんじゃん?」と思ってリサーチをはじめ、2008年銀座ミツバチプロジェクトのボランティアに参加、現在に至る。
福原保
中学2年次、ミツバチの授業を受けたのがきっかけで養蜂に興味を持つ。翌年4月から、東京・永田町にて藤原氏の手伝いに行くようになり、ついに高校1年より自宅で養蜂を開始した。高校2年次、藤原氏の紹介により現在の銀座ミツバチプロジェクトの養蜂に携わる。その後、東京農業大学国際農業開発学科に入学し、在学中はベトナム、タイ、ブラジル、アルゼンチンの養蜂の経営調査等を行った。大学時代にも養蜂のスタッフとして銀座ミツバチプロジェクトに携わり続け、卒業後(株)銀座ミツバチに正式に入社し今に至る。
村上純一
私と銀ぱちとの出会いは、以前勤めていた銀座の小売店。雑貨と化粧品を扱う中にアルビオン化粧品があり、そこから銀座はちみつ入り化粧品が発売されたのがきっかけ。その商品の新発売キャンペーンでは銀ぱちの応援も受け、おかげでその月の売り上げは全国トップを記録した。
その後、銀ぱち会員としてファームエイド・福島での田植えや稲刈り又味噌作りなど各種イベントに参加していたが、小売店を退社するのを機に銀座ミツバチプロジェクトに入社。販売の経験を活かしお酒など物販に携わる。